📅 令和8年(2026年)7月29日判決 | ⚖️ 広島高等裁判所松江支部 | 📂 控訴審(原審:鳥取地方裁判所米子支部)
鳥取大学医学部附属病院(米子市)に勤めていた元契約職員の女性(61)が、在職中に受けた10件のパワーハラスメントについて計500万円の損害賠償を求めた訴訟で、広島高裁松江支部は一審に続き5件を違法なパワハラと認め、慰謝料50万円の支払いを命じた一審判決を維持しました。
女性は「補助金の不正流用を内部告発したことへの組織的な報復だ」と訴えていましたが、この主張は二審でも退けられています。認定された5件の具体的な内容と、なぜ「報復」とは認められなかったのかを判決文から読み解きます。
事件の概要|補助金不正流用の内部告発から始まった
原告の女性は平成27年(2015年)4月、鳥取大学医学部附属病院に有期契約職員として採用され、「産官学連携コーディネーター」として、文部科学省の「未来医療研究人材養成拠点形成事業」を担当するNセンターに配属されました。この事業は国から多額の補助金を受けて運営されるプロジェクトです。
ところが着任からわずか2〜3か月後の同年6月、女性は補助金の目的外使用について文科省に電話で伝え、翌7月にはメールでも内部告発を行いました。同年8月10日には文科省の実地調査が入り、実際に違反が指摘されています。判決文によれば、問題となった不正の規模は決して小さくありません。文科省分の補助金約2億4000万円のうち約7600万円、厚労省分の補助金約4760万円のうち約400万円が目的外に使用されたとされ、出張旅費の不正請求は48件、人件費の不正は約7250万円にのぼると指摘されています。
正直なところ、この金額の大きさには驚かされます。1億円近い公的資金が本来の目的から外れて使われていたとすれば、それ自体が独立した大問題です。そして、この内部告発の直後から、女性は上司らによる一連の言動を「パワハラ」として問題視するようになり、平成29年3月末での雇止めを経て、提訴に至りました。
⚠️ 原告が主張した「組織的報復」の構図
- 告発直後の文科省実地調査(8月10日)から間もない時期に、複数の上司から相次いで威圧的な言動を受けた
- 告発を行った当事者だけが標的にされたように見える一連の対応が続いた
- 最終的に医師の診断を経て自宅待機、雇止めという形で職場を追われた
パワハラと認定された5件の具体的な内容
女性が主張した10件のパワハラのうち、裁判所が違法性を認めたのは5件でした。判決文は「優越的関係を背景とした言動であって、業務上必要かつ相当な範囲を超えたもの」であるかを一件ずつ丁寧に検討しており、認められた行為はいずれも具体的な発言や状況が判決文に引用されています。
① 会議での大声の暴言(平成27年8月)
Nセンターの職員全員が出席する会議の場で、C教授が女性に対して次のように発言しました。
——広島高等裁判所松江支部判決より
裁判所はこの発言について「原告に対する違法なパワーハラスメントに当たるものと認める」と明確に判断しました。センター職員全員の面前で、しかも「お前なんかに」という人格を否定するような物言いをぶつけられれば、それだけで職場での立場を大きく損なわれると感じるのが自然でしょう。会議という公の場での発言だったことが、違法性の評価を重くした一因だと考えられます。
② 5時間の会食での威圧的言動と身体接触(平成27年4月4〜5日)
着任から間もない時期に行われた会食の場では、C教授とF准教授という2人の上司に挟まれ、「いわば拘束された状況」で約5時間にもわたって威圧的な言動が続いたと認定されています。この場では言葉だけでなく、肩を押す行為もあったとされました。
裁判所は「原告に対する違法なパワーハラスメントに当たる点があったものと認める」と判断しています。二人がかりで長時間にわたって身動きの取りにくい状況に置かれること自体が、内容の如何にかかわらず強い心理的圧力になり得ます。着任してまだ日が浅い新任職員がこうした場に置かれたことを想像すると、なかなか逃げ場のない状況だったのではないかと感じます。
③ 事実誤認に基づく繰り返しの叱責(G病院長)
G病院長からは、事実関係を誤って理解したまま複数回にわたって叱責を受け、業務変更の指示も受けたとされています。
——広島高等裁判所松江支部判決より
病院長という組織内で極めて優越的な立場にある人物が、事実確認を尽くさないまま一方的に叱責を重ねたという点が問題視されました。指摘の中身が正しければ厳しい叱責も指導の範囲内といえますが、「誤った理解」に基づく叱責を繰り返すのは、指導ではなく単なる圧力の行使に近いと評価されたのだと思います。
④ 報告書への辛辣なコメント(H准教授)
H准教授は、女性に報告書等の再提出を求める際、辛辣な表現のコメントを付記しました。裁判所はこれについて次のように評価しています。
——広島高等裁判所松江支部判決より
業務上のフィードバックそのものは当然必要な行為ですが、その伝え方が「必要以上に萎縮させる」ものであれば指導の範囲を超えるという判断です。書面に残るコメントだからこそ、後から見返しても厳しさがはっきり伝わってしまう、という側面もあったのではないでしょうか。
⑤ 外部講演の許可をめぐる発言(H准教授)
女性が外部での講演を希望した際、H准教授は許可を出す場面で次のように発言したとされています。
——広島高等裁判所松江支部判決より
裁判所は「業務上必要かつ相当な範囲を超えて行き過ぎというべき態様であって、原告に精神的苦痛を与えるもの」と判断しました。講演を許可するかどうかという業務上の判断権限を、相手の「態度」を持ち出して揺さぶる材料に使うようなやり方は、指導ではなく威圧に近いと評価されたようです。
認められなかった5件|なぜ違法とされなかったのか
一方で、女性が訴えた残り5件については、いずれも違法なパワーハラスメントとは認められませんでした。理由を一覧で見ると、どこまでが「業務上の指導」で、どこからが「違法な圧力」なのかという線引きの難しさが浮かび上がります。
| 主張された行為 | 認められなかった理由 |
|---|---|
| シンポジウム会場変更・旅費精算業務の増加 | 業務量は増えたが「就業する上で看過できない程度の支障」とまでは認められず |
| 医療機器開発業務の指示変更 | 上記と同様、業務上必要な範囲内の指示と判断 |
| パソコン異常への対応 | 大学側は原告依頼の専門家情報も入手して調査・検討しており、対応は相当 |
| 自宅待機命令・雇止め | 医師の診察・診断を踏まえた対応であり、職場から排除する目的があったとは認められず |
特に雇止めについては、女性にとって最も重い結果であるだけに「排除の総仕上げ」のように見えたとしても不思議はありません。しかし裁判所は、医師の診断という客観的なプロセスを経ている以上、それ自体を違法な報復と評価するのは難しいという立場を取りました。結果として職を失ったことと、そこに至る個々の手続が適正だったかどうかは、法的には別の問題として切り分けられるということなのだと思います。
「内部告発への組織的報復」はなぜ認められなかったのか
この裁判で女性が一貫して主張してきたのは、個々の言動の違法性以上に「一連の出来事は補助金不正の内部告発に対する組織的な報復である」という点でした。しかし裁判所はこの主張を採用していません。判決は、5件のパワハラそれぞれについて、個別の状況(会議での発言、会食での拘束状況、事実誤認、報告書のコメント、講演許可の場面)に即して違法性を判断する一方、告発と各行為との間に組織的な報復意図を認めるだけの事情までは見出しませんでした。
ここは読んでいて複雑な気持ちになる部分です。1億円近い補助金の不正使用という重大な内部告発をしたすぐ後に、複数の上司から相次いで威圧的な対応を受けたという時系列だけを見れば、報復を疑いたくなる人は多いはずです。しかし裁判所が求めるのは「疑わしい」ではなく「認定できるだけの証拠」であり、時期的な近さだけでは組織的意図の立証には足りない、という民事訴訟の証明のハードルの高さを改めて感じさせる判断でした。
結果として、認定された5件のパワハラは「内部告発への報復」としてではなく、あくまで個々の上司の言動が単体で違法性の基準を満たすかどうかという、通常のパワハラ訴訟と同じ物差しで評価されています。原告側からすれば、告発をしたことの意味が判決にきちんと反映されなかったという不満は残るだろうと想像します。
一審・控訴審とも同じ結論|審理の経過
第一審 鳥取地方裁判所米子支部(令和7年9月25日)
⚖ 10件中5件を違法なパワハラと認定、慰謝料50万円
三島琢裁判長は、5件については「原告に不当に精神的苦痛を与えるものであった」と判断。残る5件は業務上の指導の範囲内として違法性を否定した。「組織的報復」の主張も退けた。
控訴審 広島高等裁判所松江支部(令和8年7月29日)
⚖ 原告・被告双方の控訴を棄却、一審判決を維持
原告は「認定件数・金額が過少」として追加450万円を、被告は「認定された5件はいずれも違法でない」としてそれぞれ控訴したが、いずれも退けられ、慰謝料50万円の一審判断がそのまま維持された。
両者がそれぞれ不服を申し立てたにもかかわらず、二審は一審の判断枠組みをほぼそのまま踏襲しました。報道によれば、原告の女性は「上告する意向」を示しているとされ、この訴訟はさらに最高裁まで争われる可能性があります。二度にわたって同じ結論が出たとはいえ、当事者にとっては「まだ終わっていない」というのが実感なのかもしれません。
慰謝料はなぜ50万円にとどまったのか
裁判所は慰謝料額の算定について、次のように説明しています。
——広島高等裁判所松江支部判決より
請求額500万円に対して認容額はわずか1割の50万円です。5件それぞれは違法と認定されたものの、暴行を伴う継続的なハラスメントや、うつ病発症などの重い結果までは認定されなかったことが、金額を抑える要因になったとみられます。個々の言動の違法性と、賠償額の大きさは必ずしも比例しない——これは他の労働紛争の判決でもしばしば見られる構図であり、今回もその例に漏れなかった形です。
この判決から読み取れること
今回の判決を通して強く感じたのは、パワハラの認定というのは行為ごとの「点」の積み重ねであって、背景にある「組織的な意図」を丸ごと立証するのは非常にハードルが高いということです。1億円規模の補助金不正という重大な内部告発があり、その直後から上司らの厳しい対応が続いたという構図は、外形的には極めて疑わしく映ります。それでも裁判所は一つひとつの言動を切り離して評価し、5件については明確に「違法」と認めながらも、それらをまとめて「報復」と呼ぶことには踏み込みませんでした。
もう一つ印象的だったのは、認定された5件の顔ぶれです。大声での人格否定的な発言、長時間の拘束を伴う会食、事実誤認に基づく叱責、辛辣な書面コメント、権限を盾にした発言——いずれも「これくらいは指導の範囲」と加害者側が思い込みがちな行為ばかりです。大学という比較的閉じた組織の中で、しかも有期契約という弱い立場の職員に対して、こうした言動が積み重なっていたという事実は、大学に限らずどの職場にも通じる教訓を含んでいるように思います。
一方で、内部告発をした人が結果的に職を失い、報復の主張も認められないまま裁判が長期化しているという現実には、率直に言ってやりきれなさも感じます。公益通報者保護の制度がある以上、告発した本人がここまで長く不利益に苦しみ続ける構図は、制度の理念とのギャップを浮き彫りにしているのではないでしょうか。上告審でこの点にどこまで踏み込んだ判断が示されるのか、続報を注視したいところです。
よくある質問
Q. パワハラと認められるかどうかは、どんな基準で判断されるのですか?
今回の判決でも示されたとおり、①優越的な関係を背景とした言動であること、②業務上必要かつ相当な範囲を超えていること、③労働者の就業環境が害される結果が生じていること、という3つの要素を満たすかどうかで判断されます。上司の指導であっても、この基準を超えれば違法と評価される可能性があります。
Q. 内部告発(公益通報)をした後に不利益な扱いを受けた場合、それだけで違法になりますか?
今回のケースを見る限り、時期的に近いというだけでは「報復」としての違法性を立証するのは難しいことがわかります。個々の行為がそれぞれ独立してパワハラ等の要件を満たすかどうかが、まず問われることになります。報復目的を立証するには、より具体的な組織的関与を示す証拠が必要になると考えられます。
Q. この判決は確定したのですか?
報道によれば、原告の女性は上告する意向を示しているとされ、最高裁でさらに争われる可能性があります。確定しているかどうかについては、続報をご確認ください。
📌 この判決のポイントまとめ
- 鳥取大学医学部附属病院の元契約職員女性(61)が訴えた10件のパワハラのうち、5件が違法と認定された
- 認定されたのは、会議での人格否定的な発言、長時間拘束の会食、事実誤認に基づく叱責、辛辣な報告書コメント、講演許可をめぐる威圧的発言の5件
- 補助金の目的外流用(約1億円規模)を内部告発した直後の出来事だったが、「組織的な報復」との主張は一審・二審とも認められなかった
- 慰謝料は請求額500万円に対し50万円にとどまり、控訴審もこの金額を維持した
- 原告側は上告する意向とされ、最高裁でさらに争われる可能性がある
出典・参考資料
広島高等裁判所松江支部 令和8年7月29日判決全文(PDF・裁判所ウェブサイト)
鳥取大に二審も賠償命令 元契約職員へのパワハラ(WEB労政時報)
鳥取大パワハラで賠償命令 元契約職員被害、一部認定(WEB労政時報)
【免責事項】本記事は、裁判所ウェブサイトで公開されている判決文(判決全文PDF)および上記報道内容に基づき作成しています。判決文において当事者・関係者の氏名は記号(C教授、G病院長、H准教授等)で匿名化されており、本記事もこれに準じています。判決文の要約・再構成にあたっては読みやすさを優先しており、法的な正確性を保証するものではありません。本記事は法的助言を目的とするものではなく、個別の事案の評価や対応については弁護士など専門家にご相談ください。また、本記事中の意見・感想部分は筆者個人の見解であり、裁判所の見解を示すものではありません。



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