📅 令和8年(2026年)9月30日 | ⚖️ 東京地方裁判所 民事第46部 | 📂 令和7年(ワ)第70635号 投稿記事削除請求事件
声優の津田健次郎さんが、自分の声に似せたAIナレーション動画188件の削除をTikTokの運営会社に求めた裁判。東京地裁は請求を棄却しましたが、その理由は「動画がすでにサーバから消えていたから」でした。
一方で判決は、「人の声は、人の肖像と同様に個人の人格の象徴」として、声も無断利用から守られうると明言。負けたのに、声の権利にとっては一歩前進となった判決の中身と、AI音声から家族を守るための備えを整理します。
事件の概要|「津田健次郎さんそっくり」のAIナレーション動画188件
原告は、声優・俳優・ナレーターとして活動する津田健次郎さんです。判決は、テレビアニメ「呪術廻戦」や「劇場版呪術廻戦0」で七海建人役を務め、劇場版が約980万人の観客を動員したことにも触れ、その知名度を認定しています。
問題になったのは、TikTok上の「八海」というアカウントです。令和6年(2024年)7月から令和7年(2025年)9月までに、都市伝説や心霊現象などの雑学にナレーションを付けた動画を188件投稿していました。
判決によれば、このアカウントのフォロワーは令和7年11月時点で21万人以上。各動画には数千から数万の「いいね」が付いていたといいます。それだけ多くの人が、津田さんの声だと思って聞いていた可能性があるわけです。
投稿者側の説明は「声真似が上手い友人の声をAIに学習させた」
アカウントのトップページからは外部サイトへのリンクが張られていました。そこには、本件音声は津田さんの声を無断でAIに学習させたものではない、という趣旨の説明が書かれていたと判決は認定しています。
——東京地裁判決が認定した外部サイトの記載より
「本人の声は使っていない」という言い分ですが、聞く側からすれば似ているかどうかがすべてです。本人の音声を直接学習させなくても、そっくりな声は作れてしまう。生成AIの時代ならではの、厄介な構図だと感じます。
双方の主張|不正競争防止法とパブリシティ権で削除を請求
津田さんは、TikTokを運営するTikTok Pte. Ltd.を相手に、188件の動画の削除を求めました。根拠は不正競争防止法3条(差止請求)と、パブリシティ権の2本立てです。損害賠償は請求していません。
| 論点 | 原告(津田さん) | 被告(TikTok運営会社) |
|---|---|---|
| 声の類似性 | 独特の抑揚や低音の響きといった顕著な特徴が共通し、科学的な音声比較分析でも類似が証明されている | 普遍的な男性の声で、話し方も必ずしも特徴的とはいえない |
| 不正競争防止法 | 2条1項1号・2号の不正競争(周知・著名な表示の冒用)に当たる | アカウント上の記載(本件記載)などから見て、原告の営業と混同を生じさせるおそれはない |
| 削除の要否 | 動画の削除を求める | 動画のデータは令和8年6月28日の経過をもってサーバから削除済み |
判決が整理した争点は、①不正競争防止法に基づく削除請求の可否、②パブリシティ権に基づく削除請求の可否、③動画がすでに削除されたか、の3つでした。
提訴から判決までの経緯
2024年7月〜2025年9月
📱 「八海」アカウントが動画188件を投稿
都市伝説・心霊現象などの雑学動画に、津田さんの声に似たナレーションを付けて投稿。
2025年8月〜11月
⚖️ 発信者情報開示命令・送信防止措置請求、そして提訴
2025年8月に発信者情報開示命令、9月に津田さん側が侵害情報の送信防止措置を請求。報道によれば同年11月に提訴。
2026年5月29日 → 6月28日
🗑️ 投稿者がアカウントを削除、30日後にサーバからも消去
投稿者が自らアカウントを削除し、30日以内に復旧申請がなかったため、動画データが削除された。
2026年7月3日 口頭弁論終結 → 9月30日 判決
❌ 請求棄却——ただし「声もパブリシティ権の対象」と判示
削除対象の動画がすでに存在しないため請求は棄却。訴訟費用は原告負担。
東京地裁の判断①|「人の声は人格の象徴」声もパブリシティ権の対象に
この判決が注目された最大の理由は、ここです。裁判所は声について、肖像(顔や姿)と同じ位置づけを与えました。
——東京地裁 令和8年9月30日判決より
パブリシティ権とは、有名人の名前や顔が持つ「お客を引き寄せる力(顧客吸引力)」を、本人に無断で商売に使わせない権利です。これまで主に肖像や氏名について認められてきましたが、声も対象になると日本の裁判所が明言したのは初めてと専門家は評価しています。
判決は、侵害になる条件として2つの段階を示しました。
01
声に顧客吸引力があること
その声が「商品の販売等を促進する顧客吸引力」を持つといえること。人気声優やナレーターの声が典型です。
02
「専ら」その力の利用が目的
声を使う行為が、専らその声の顧客吸引力を利用する目的といえる場合に、権利侵害となりうる。

つまり、有名人の声を無断で使い、その人気で再生数や売上を稼ぐような使い方はアウトになりうるという枠組みです。AIで似た声を作る技術が誰でも使える今、この線引きが示された意味は大きいと思います。
東京地裁の判断②|動画はすでに削除済み、だから請求棄却
では、なぜ津田さんは負けたのか。理由はシンプルで、削除を求めた動画が、判決前にすでにサーバから消えていたからです。
裁判所は、投稿者が令和8年5月29日にアカウントを削除し、30日以内に復旧申請をしなかったため、6月28日の経過をもってデータが削除されたと認定しました。被告の内部規則や、公表されている利用ポリシーとも整合するという判断です。
——東京地裁 令和8年9月30日判決より
そのうえで判決は、不正競争防止法に当たるか、本件の動画が実際にパブリシティ権を侵害していたか、といった具体的な当てはめには踏み込みませんでした。「声は保護されうる」という一般論は示したが、今回の動画が違法だったかどうかは判断していない点は、正確に押さえておきたいところです。
削除を求める裁判では、口頭弁論が終わる時点で対象が残っているかどうかが決め手になります。相手が先に消してしまえば、訴えそのものが空振りに終わる。権利を守るための手続きとしては、なんとももどかしい結末です。
⚠️ この判決で「決まっていないこと」
- 本件の動画が実際にパブリシティ権を侵害していたかどうか
- AIで作った「似た声」が不正競争防止法違反になるかどうか
- プラットフォーム(TikTok)にどこまで削除義務があるか
- 損害賠償をいくら請求できるか(今回は賠償請求なし)
一般人にも関係ある?AI音声で家族が損をしないための備え
「有名人の話でしょう」と思うかもしれません。ただ、パブリシティ権はあくまで顧客吸引力のある人の権利で、一般の人がこの権利で守られる場面は多くないのが実情です。一般人の場合は、名誉毀損やプライバシー、肖像権などの別の権利で対応を考えることになります。
むしろ私たちが気をつけたいのは、AIで声をまねる技術が詐欺に悪用されるケースです。数十秒の音声があれば似た声を作れるといわれ、SNSに上げた動画や留守電の声が材料になりえます。自分も家族がいる立場として、「子どもや孫の声で電話がかかってきても、すぐにお金を振り込まない」ことは家族全員で共有しておきたいと強く感じました。
🚨 AI音声を使った詐欺で狙われやすい場面
- 「事故を起こした」「会社のお金をなくした」と、家族の声で急な送金を求める電話
- 上司や取引先を名乗る声で、振込先の変更を指示する電話
- 著名人の声を使った投資勧誘の動画・広告
今日からできる3つの対策
01
家族の「合言葉」を決める
本人しか知らない質問や合言葉を家族で決めておけば、声が似ていても見抜けます。
02
一度切って、かけ直す
お金の話が出たら電話を切り、登録済みの番号に自分からかけ直して確認します。
03
公開する声・動画を絞る
SNSの公開範囲を見直し、家族の声が入った動画を不特定多数に公開しないようにします。

万一、自分や家族の声・写真が勝手に使われた場合は、まずSNS運営会社への削除申請(違反報告)を検討しましょう。今回の判決が示したとおり、相手が消してしまえば裁判で削除を求めても棄却されうるため、画面の保存(スクリーンショット・URL・日時の記録)を最初にしておくことが大切です。
詐欺かもと思ったら警察相談専用電話「#9110」、ネット上の権利侵害の相談は法務省の「インターネット人権相談受付窓口」や総務省の「違法・有害情報相談センター」が窓口になります。慌てずに相談先を知っておくだけでも、家族を守る備えになります。
📌 この判決のポイントまとめ
- 津田健次郎さんがTikTok運営会社に188件の動画削除を求めた訴訟で、東京地裁は請求を棄却した。
- 棄却の理由は、投稿者のアカウント削除により動画が2026年6月28日にサーバから消えていたため。
- 判決は「人の声は人格の象徴」とし、顧客吸引力のある声を専らその力の利用目的で無断使用すればパブリシティ権侵害になりうると示した。
- 本件動画が実際に違法だったか、不正競争防止法違反かについては判断していない。
- 一般家庭では、AI音声を使った詐欺への備え(合言葉・かけ直し・公開範囲の見直し)が現実的な対策になる。
まとめ|負けても残った「声の権利」という前進
結論だけ見れば津田さんの敗訴です。しかし中身を読むと、裁判所は動画が消えたという形式的な理由で決着をつけつつ、声の保護について踏み込んだ一般論を残しました。生成AIによる声の模倣が広がるなかで、今後の同種の争いでこの判断が参照される場面は増えていくはずです。
一方で、実際の侵害の判断や賠償額、プラットフォームの責任は持ち越しになりました。裁判を起こしても相手が先に消せば終わってしまう、という手続き上の弱さも見えた事件です。声は顔と同じくらい「その人らしさ」そのもの。家族の声が悪用されない備えを、この機会に一度話し合っておくと安心です。
よくある質問(FAQ)
Q. 津田健次郎さんはなぜ裁判に負けたのですか?
A. 削除を求めた188件の動画が、口頭弁論終結(2026年7月3日)より前の6月28日にサーバから削除済みだったためです。削除する対象がない以上、運営会社がさらに削除義務を負うことはないと判断されました。
Q. 声のパブリシティ権とは何ですか?
A. 有名人の声が持つ「お客を引き寄せる力」を、本人に無断で商売などに利用させない権利です。今回の判決は、顧客吸引力のある声を専らその力の利用目的で無断使用する場合に侵害となりうると示しました。
Q. 一般人の声がAIでまねされた場合も守られますか?
A. パブリシティ権は顧客吸引力のある人が前提のため、一般の方には使いにくい権利です。ただし名誉毀損・プライバシー侵害・肖像権など別の権利で削除や賠償を求められる場合があります。具体的な対応は弁護士や公的な相談窓口に相談してください。
Q. 家族の声を使ったAI詐欺を防ぐにはどうすればいいですか?
A. 家族で合言葉を決める、お金の話が出たら一度切って登録済みの番号にかけ直す、家族の声が入った動画の公開範囲を絞る、の3点が有効です。不審な電話は警察相談専用電話「#9110」に相談できます。
出典・参考資料
- 東京地方裁判所 令和8年9月30日判決(令和7年(ワ)第70635号 投稿記事削除請求事件)判決全文PDF(裁判所ウェブサイト)
- 「声」もパブリシティー権の保護対象に 津田健次郎さんのAI声模倣訴訟で東京地裁が判断──削除請求自体は棄却(ITmedia NEWS)
- 「声もパブリシティ権の対象」裁判所が初明言、「津田健次郎事件」の意義と課題 上野達弘教授(弁護士ドットコムニュース)
- 声にもパブリシティー権、初の司法判断 津田健次郎さんの請求は棄却(日本経済新聞)
【免責事項】本記事は、裁判所が公開した判決文および報道をもとに、判決の内容を一般向けに解説したものです。記事中の事実関係は判決が認定した範囲によるものであり、判決は本件動画が実際に権利侵害に当たるかどうかについては判断していません。個別の事案についての法的判断は、弁護士等の専門家にご相談ください。



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